『ストリートファイター6』のケンは、作業服姿で立っています。
焦げ茶色の上着に黒いタンクトップ、赤いズボン、黄色いスニーカー。口の周りには無精髭。見慣れた白い道着は、着替えのひとつとして用意されている扱いです。いまのケンの標準は、そちらではありません。
公式の紹介文には、こう書かれています。元・全米格闘王、元・マスターズ財団副理事長。二つとも「元」が付いています。
金も地位も家族も持っていた男が、なぜ全部手放して、工事現場で働いているのか。そこに至るまでの話をしていきます。

元・全米格闘王──いま、ケンが置かれている状況
まず現在地から確認します。ケンはある事件で、組織犯罪の首謀者だという嫌疑をかけられました。そして家族のもとを離れ、地位を捨てて潜伏しています。
身を寄せているのはメトロシティ。工事現場で働いています。かつて財団の副理事長だった男が、です。
格闘家としての経歴も、財団の肩書きも、いまは使えません。それでも拳は置いていない。持っているものを全部下ろしても、この男から拳だけは離れませんでした。
ここで一つ、引っかかることがあります。その嫌疑は、すでに晴れています。
それなのに、ケンは戻っていません。地位も名誉も捨てたまま、事件の真相と、自分を陥れた相手との決着を求めて潜んでいます。もう戻れるのに、戻らないほうを選んでいます。
何があったのかは、この記事の後半で詳しく見ます。まずは、この男がどういう人間なのかからです。
アメリカの息子が、日本の山で──リュウと同じ場所で育った男
ケン・マスターズはアメリカ出身です。裕福な家の息子でした。
その彼が、幼い頃から日本にいます。剛拳のもとで、リュウと一緒に修行を積んだ兄弟弟子です。同じ師に、同じ拳を習って育ちました。
ただ、二人はまるで似ていません。
リュウは強さとは何かを考え込むタイプで、浮世離れしています。対してケンは社交的で派手好き。軟派で軽い性格です。ところが面白いことに、常識があるのはケンのほうでした。世間からずれているのは、まじめなリュウのほうなのです。
拳にも差が出ました。リュウが基本に忠実なのに対し、ケンは昇龍拳と足技、攻めの能力に長けています。『スーパーストリートファイターII』からは、強い昇龍拳に炎が乗るようになりました。電撃のリュウ、炎のケン。同じ技を習った二人が、別の色に分かれています。

そして二人は、何度も拳を合わせてきました。設定上の関係は親友であり、最大のライバルです。同じ師に習った者同士なので、手の内も互いに知り尽くしています。
そしてもう一つ、二人が分け合っているものがあります。師を奪われた経験です。剛拳は、実の弟である豪鬼に倒されました。リュウにとってそうであったように、ケンにとっても豪鬼は師の敵にあたります。
その豪鬼が何を考えていた男なのかは、こちらの記事にまとめてあります。
赤い鉢巻は、ケンのものだった──二人をつなぐ一本の布
ここで、知ると少し嬉しくなる話をひとつ。
リュウのトレードマークといえば、赤い鉢巻です。あれをリュウが自分で用意したものだと思っている人が多いかもしれません。
違います。あの鉢巻は、もともとケンが髪留めに使っていたリボンです。
リュウがずっと額に巻いているのは、兄弟弟子から渡されたものだということになります。師を失い、放浪を続け、自分の中の闇に飲まれ、それでも歩き続けた。あの長い道のりのあいだ、リュウの頭にはずっとケンの色が乗っていました。
派手好きの男が髪をまとめるのに使っていた布が、シリーズでいちばん有名な鉢巻になった。そう考えると、少し可笑しくもあります。
リュウがどんな道を歩いたのかは、こちらの記事にまとめてあります。
一度、拳を置いた男──戻したのはリュウからの一通の手紙
意外に思われるかもしれませんが、ケンは格闘から離れていた時期があります。
『ストリートファイターII』の前のことです。修行に明け暮れていたわけでも、大会を回っていたわけでもない。ブランクがありました。
そこへ届いたのが、リュウからの一通の手紙でした。これがケンの眠っていた血を沸かせます。
手紙一通で人が動くのか、と思うかもしれません。ただ、この二人の関係を思えば筋は通っています。師が同じで、育った場所も同じで、そのうえで生き方だけが分かれた相手です。その男がまだ拳の道を歩いていると知れば、離れていた側の心は動きます。
ケン自身が、自分の戦う理由を言葉にした場面もあります。『ZERO』シリーズでイライザという女性と出会ったとき、彼はこう語りました。自分が戦うのは、倒さなければならない男ともう一度戦うためだと。
倒さなければならない男、というのはリュウのことです。
焦りにつけ込まれた日──与えられた「偽りの強さ」
もっとも、その関係が常にきれいだったわけではありません。
『ストリートファイターZERO3』の時点で、ケンは全米格闘王になっています。傍から見れば順風満帆です。ところが本人の内側には、別のものがありました。
リュウに置いて行かれることへの恐れです。
そこを見抜いたのがベガでした。世界規模の犯罪組織シャドルーを率い、サイコパワーという力を操る男です。ベガはケンの焦りにつけ込み、その力で偽りの強さを与えました。
そして、その力を得たケンが向かった先がリュウでした。
ここで、同じ頃のベガが何をしていたかを挟んでおきます。この男は膨れ上がった自分のサイコパワーに、肉体のほうが耐えられなくなっていました。そして次の器として目をつけていたのが、リュウの体です。
つまりこの時期、ベガの狙いはリュウに向いていました。ケンは、そのリュウにいちばん近い場所にいた男です。
考えてみれば当然です。ケンが怖かったのはリュウに置いて行かれることでした。だとすれば、埋めたい差は最初からリュウとのあいだにあります。強くなった自分を突きつける相手も、リュウしかいません。
こうしてケンは、兄弟弟子の前に立ちはだかります。子供の頃から並んで拳を振るってきた相手に、借り物の力でです。
ここは、リュウの物語と並べると輪郭がはっきりします。リュウが抱えていた闇は生まれつき内側にあったものでした。対してケンが渡されたのは、外から与えられた力です。自分の中から出てきたものですらなかった。
狙われた理由も違います。リュウは素質を見込まれました。ケンが見抜かれたのは弱みのほうです。強くなりたかったのではなく、置いて行かれたくなかった。その一点が入口になりました。
華やかに見える人間ほど、内側に焦りを溜めている。この時期のケンは、そういう男でした。
そしてこの焦りは、リュウに勝つことでは消えませんでした。消えるきっかけは、まったく別のところから来ます。
守るものができる──誘拐事件が変えた、強さの意味
転機は、勝負の外から来ました。
『ストリートファイターII』のエンディングで、ケンはイライザと結婚します。アメリカ西海岸に居を構え、家庭を持ちました。
そして『ストリートファイターIV』で、事件が起きます。妻のイライザが誘拐されたのです。
ケンはイライザを救出します。そして助け出したイライザから、妊娠を知らされました。
この一件で、ケンの中の言葉が変わります。自分の力は、守るべきものがあるからこその強さなのだと気づいたのです。
置いて行かれたくなくて拳を振るっていた男が、守るために振るう男になった。若い頃にベガにつけ込まれた隙は、ここで塞がっています。他人と比べている限り、順位が下がれば揺れます。守るものを基準にすれば、揺れる理由がなくなる。
ここでようやく、借り物の力を必要としない理由ができたことになります。かつて他人から差し出された強さは、そもそも埋めたかった穴の形に合っていませんでした。
同じ『ストIV』のエンディングでは、息子のメルが生まれます。
教える側へ──弟子ショーンと、父としてのケン
『ストリートファイターIII』では、メルは3歳になっています。ここでのケンは、立派な格闘家でもある優しい父親として描かれます。
同じ頃、弟子もできました。ショーンです。
最初のケンの態度が、いかにもこの人らしい。弟子を取るつもりはなく、持て余し気味でした。押しかけてきた相手に、師匠らしく構えてやりません。
それでも『3rd STRIKE』では、本格的に指導している様子が見られます。かつて自分が剛拳に拾われた側だったことを思えば、順番が一周したことになります。
この頃の二人のやり取りに、いい話が残っています。『3rd STRIKE』では、リュウとケンが二人とも「勝った数は自分のほうが多い」と主張しているのです。
どちらが本当かは書かれていません。ただ、両方が言い張れるくらい、二人は数え切れないほど拳を合わせてきたということになります。子供の頃から続く勝負が、まだ決着していません。
『ストリートファイターV』でも、ケンはイライザとの会話で、リュウと戦うために戦うという自分の理由を確かめ直しています。家庭を持ち、弟子を持っても、根のところは変わっていません。
そして、全部奪われる──映像ひとつで消えた男
ここで、冒頭の話に戻ります。
マスターズ財団は、ナイシャールという新興国への支援活動に力を入れていました。副理事長のケンは、その現場を監督していました。
そこに、サイバーテロ組織が動きます。狙いはナイシャールを揺さぶり、その電子基盤を握ることでした。
その手口が、ケンが不正な資金移動を指示している偽の映像を流すことでした。
財団の活動は、反政府過激派への支援と見なされました。現地で暴動に巻き込まれたケンは拘束され、目を覚ましたときには、テロの容疑者になっていた。ケンは代表の座を退き、姿を消します。
この経緯は、『ストリートファイター6』の中でケン本人の口から語られます。
そして、これを仕組んだのがJPでした。国際NGOを率い、新興国に繁栄をもたらした事業家として知られる男。その正体は、かつてのシャドルー幹部です。
若い頃、ケンはベガに焦りをつけ込まれました。今度は、その組織にいた男に、築き上げた立場をつけ込まれたことになります。二度とも、拳の弱さで負けたわけではありません。
ケン本人の言葉も残っています。
「今は一緒にいることができないが、家族が自分の戦う理由だった」
守るために強くなった男が、守るために、家族から離れている。そして嫌疑が晴れた今も、まだ戻っていません。真相にたどり着くまでは帰らない、ということなのでしょう。
まとめ:全部持っていた男が、拳だけで立っている
アメリカの裕福な家に生まれ、全米格闘王になり、財団を背負い、家庭を持った。ケンはずっと、持っている側の人間でした。
その一つひとつが、いま手元にありません。地位も、名誉も、家族と過ごす時間も。
それでも折れていないのは、戻る場所があるからではなく、確かめたいものがあるからです。若い頃は他人に与えられた力にすがりました。今度は、誰にも借りていません。
道着を脱いだ姿をどう見るかは、人それぞれだと思います。ただ、何も持っていない状態のケンを見られるのは、シリーズでいまだけだということは言えます。
持っていたものを全部下ろしても、ケンの手には拳が残っています。
出典・参考
- ストリートファイター6 公式サイト
- ケン・マスターズ – Wikipedia
- ストリートファイター6 – Wikipedia
- リュウ(ストリートファイター) – Wikipedia
- ベガ(ストリートファイター) – Wikipedia
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